本日 180 人 - 昨日 228 人 - 累計 485468 人
サイトマップ

なぜジストニアに有効か

  1. HOME >
  2. レッスン案内 >
  3. なぜジストニアに有効か
アレクサンダー・テクニークはなぜジストニアに有効か
人間の全体性に働きかけるワークであるアレクサンダー・テクニークは、自分自身の「使い方」を見直し、建設的・意識的な思考・行動を身につけることによって、フォーカル・ジストニアに限らず、あらゆる事をポジティブに変化させる可能性を持っています。
ここでは、フォーカル・ジストニアの改善に特につながると思われるアレクサンダー・テクニークの特色をご紹介します。


代償運動
音楽家のフォーカル・ジストニアで起きる問題として、代償運動(compensation)があります。脳の指令がうまく伝わらなくなって、精緻な運動制御ができなくなった部位を、他の部位を使うことによってかばう動作です。アンブシュア・ジストニアでは舌のポジションを変えること、指のジストニアでは手首や肘を使った代償運動が出ることがあるようです。アンブシュア・ジストニアでは出にくい音の時に恐怖心から吐く息の量を減らしてしまい、それがまた悪化の原因になることも多いです。

この動作、実際に助けになることは少なく、むしろ不必要な操作を増やすことで悪化の原因となっている場合が多いです。この不必要な操作はいつの間にか定着して無意識的に繰り返してしまうことになります。しかも「なんとかしなければ」という意思が強ければ強いほど、どんどん代償運動パターンは強化されていきます。

アレクサンダー・テクニークでは、無意識に行っている自分の邪魔をしてしまっていることを発見することで、何が演奏のために本当に必要なのかを探っていきます。


アレクサンダー・テクニークで「やめること」を学ぶ
アレクサンダー・テクニークの大きな特徴に、「不要なことをやめる」というコンセプトがあります。
多くの場合、問題を解決するためには「何かをしなければ」と考えがちです。しかし、アレクサンダー・テクニークではそれとは逆の「やめること」を学びます。
演奏時に「やっていること」のなかにある、「やらなくてもいいこと」、さらに言えば「やらないほうがいいこと」を見つけて、やめてみます。

間違っていることをやめれば、正しいことは自然に起こる(F.M.アレクサンダー)


アレクサンダー・テクニークは「脱力」を学ぶ?
アレクサンダー・テクニークを「脱力法」と捉えている方がいらっしゃるようですが、実際は少し異なります。アレクサンダー・テクニークにおいて、脱力じたいは、目的ではなく、結果として現れるものです。私は、良い演奏というのは脱力からは生まれないと考えています。入るべきところにしっかり力が入ってこそ最高のパフォーマンスが発揮できるのです。そして、良い演奏をする力を最大限に発揮するために、妨げている動きをやめてみる。その結果として不要な部分は自然に脱力します。この脱力はあくまでも副産物であり、何よりも大切なのは適切な協調運動を作り出すことです。

間違った緊張は、たいてい、適切な緊張が足りないために起こる(ペドロ・デ・アルカンタラ)


まずは「全体」から
演奏の不調があると、つい障害の箇所だけ(指、アンブシュアなど)に注意が向けられて、そこに問題があるのだから、解決するにはその部分を何とかしなければいけない、と思っていませんか?
必ずしも症状の出ている箇所が原因であるとは限らないのです。私自身、初めてアレクサンダー・テクニークのレッスンをうけた時に、「頭と脊椎」の導入から入った先生に対して「自分の問題はアンブシュアなのですが??」と思ったことをよく覚えています。(この時の、頭のバランスを変えただけでアンブシュアに劇的な変化が起こった体験がアレクサンダー・テクニークを本格的に学ぼうと思ったきっかけです)

アンブシュアでも指でも、末端(口、指)に近い場所でアンバランスな状態になってしまっている時、その個所からバランスを整えていくよりも、より軸(頭、背骨)側からバランスを整えたほうが効果的であることは容易に想像していただけると思います。


間接的なアプローチ
私はフォーカル・ジストニアを強化された習慣、と考えています。たいていのフォーカル・ジストニアの演奏家は、演奏と特定の身体の間違った使い方をあまりに強く結びつけてしまっているため、楽器を持った瞬間、あるいは演奏の事を考えるだけでも演奏の邪魔をする身体反応が起こります。

この状態で、楽器によってどんなエクササイズをしても、根本となる身体の反応が変わっていなければ問題の根本的な解決には至りません。

私のレッスンの中では楽器から離れた(=習慣の力が及びにくい)日常の動作や、全く不慣れな動作を取り入れることで、徐々に好ましくない習慣から解放されていくことをお手伝いします。


その感覚はあてになるのか?
「確実であること」と「確実であると感じること」は違います。
感じることに重点を置きすぎると、演奏中も常に「これで大丈夫かな?」と確認する作業に追われます。とくに、不調から改善の過程にある方はどうしても調子の悪かった個所に注意を向けてしまいがちで、それが「あと一歩」で停滞してしまう原因のようです。

私の指導では、よい演奏のためのプランを生徒さんと作り上げ、さらにそのプランを信頼していくための手助けをしていきます。

生徒が”知的に”その理由を理解している時でさえ、新しく不慣れな手段により支持された結果を得る経験を可能にするには、そのことへの多大な励ましと実際的な手助けを、何度も何度も与える必要があります 
(F.M.アレクサンダー The use of the self 第4章)


即効性は?
これまでに書いてきたような内容を、通常私のレッスンでは言葉と、手を使った動きのガイドなどの誘導によって、初回のレッスンからすべて体験していただきます。今まで受講していただいたほぼ全ての方が、初めてのレッスンでその効果を実感しています。アレクサンダーテクニークは、実はとても即効性の高いメソードです。本番当日の楽屋への出張レッスンを依頼されることもあるほどです。

しかし、始めのうちは効果はあまり持続しないでしょう。それは私の言葉と動きのガイドなしでは、いつもの習慣的な演奏法に引き戻されやすくなってしまうからです。その無意識的に選択されていまう習慣的な奏法を、私のサポートなしに持続できるようになるまでは、大体5~10回のレッスンを要するようです。


最後に・・・精神的な問題
これは音楽家医学というジャンルが確立されたヨーロッパではすでに一般的ですが、職業音楽家、音楽学生がフォーカル・ジストニアなど難治性のトラブルに見舞われたとき、収入の減少や周囲の無理解などによって経済的、社会的に困難な状況に陥り、それがまた演奏の悪化につながる、という負のループを引き起こしがちです。

私自身が一時はそのループにいて、そこから這い出してきた過程で、「わかってくれないだろうな」とか逆に「そんなことはわかってる!」といった周囲の無知、無理解によって辛い経験をしました。音楽家のジストニアという特殊な状態は誰にでも容易に理解・共感できるものではありませんので、それを責めるつもりはまったくありませんが、せめて音楽大学などの教育機関にそのような問題に対処できるアドヴァイザーがいればよかったとは思います。

私は個人レベルではありますが、困難な状況に置かれた演奏家を総合的にサポートしていけるよう心掛けています。将来的には心理面・経済面も含めてサポートしていくシステムを作り上げたいと構想しています。

最新情報はFacebookページメールマガジンで発信しています。