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結果達成のための手段

ひとは皆「正しいことをしている」と感じたいでしょう。
それが自分にとって大切な活動ならなおさらです。

私がトロンボーン演奏に不調を感じて医師のもとを訪れ、フォーカル・ジストニアの診断を受けてリハビリを開始したころの経験です。

医師のもとで状態を見せてくださいと言われ、「こんなパッセージが演奏しにくいんです。」とうまくいかないことをやって見せようとしたら、いつもより上手くいってしまう…という体験を何度かしました。

なぜ上手くいってしまうのか、逆に言えば、なぜいつもは上手くいかないのか。
F.M.アレクサンダー氏が著作「自分の使い方」第4章「吃音者」のところに記述しています。

   この生徒の場合は、彼が話そうとするときに、自分の有機体全体の筋肉を、異常に緊張させてしまう習
   慣があることが際立っていました。その極端な筋肉緊張が、彼のメカニズム全体の機能を阻害する要因
   で、舌と唇をうまく使えなくしていました。吃音をせずに話したいという「気持ち」から、何らかの努
   力をしようとすればするほど、すでに過度になっている筋肉緊張を増加させてしまい、望む結果が得ら
   れなかったのです。
   (中略)
   彼にとっては話すという行為を、筋肉の緊張をある程度にまで高めることと結びつけていました。そし
   て、その過度な緊張を感じるようになるまでは話すことは不可能だ、と信じるまでになっていたので
   す。
    (F.M.アレクサンダー『自分の使い方』BODY CHANCEブックコーステキスト 34~39頁)


特定の筋肉の緊張を、その動作と結びつけてしまうことによって、その緊張を「感じる」まで、その動作をできないと思ってしまう。

「正しくしたい」という当然の欲求が結果的には間違った習慣を作り出してしまっていたのです。

今まで「正しく演奏するため」にしていたことの中にある、本来は不要な、それどころが害を及ぼす事に気付き、それをやめてみると、とても不慣れな感じ、変な感じがします。そして、「正しく演奏しようとしていない」事に不安を感じるかもしれません。「努力を怠っている」ようで罪悪感を感じるかもしれません。「そんな簡単に行くわけがない」と疑うかもしれません。しかし、本来の目的は「うまく演奏すること」であり、「努力すること」でも「苦しむこと」でもありません!

大切なのは、習慣的なやり方で結果を求めることを拒否して、新しい使い方を慣れたものになるまで体験する事です。

F.M.アレクサンダーは、「この生徒の事例にみられたことは、すべての人に実際に起こっています。」とも書き記しています。


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